はじめに:なぜ医療だけが「紙から抜け出せない」のか
行政、金融、製造業など、さまざまな分野でDXが進む中、医療現場はいまだに紙が多く使われている。
カルテ、申し送り、チェックリスト、メモ──「まだ紙なのか」と感じる人も少なくないだろう。
しかし、医療現場の内側を見てみると、その見方は必ずしも正しくない。
紙が残っているのは、非効率だからではなく、合理的な理由があるからだ。
なぜ医療現場ではDXが思うように根づかないのか。
その背景にある「本当の壁」を整理していく。
DXが進まないのは「ITが遅れているから」ではない
医療現場は、決してIT導入が遅れているわけではない。
電子カルテやオーダリングシステム、画像管理システムなど、医療分野は早い段階からデジタル化を進めてきた。
問題は、システムが存在することと業務が変わることがイコールではない点にある。
多くの医療機関では、
システムは導入されている
しかし業務フロー自体は大きく変わっていない
結果として紙とデジタルが併存している
という状態が続いている。
医療DXの課題は、技術よりも「運用」にある。
紙文化を支える医療現場特有の構造
医療現場では、医師・看護師・薬剤師・検査技師・事務スタッフなど、多くの職種が同時に関わる。
情報共有のスピードと分かりやすさは、業務の質を左右する重要な要素だ。
紙には、
一目で状況が把握できる
誰が見ても同じ情報を共有できる
その場で書き足せる
という強みがある。
さらに、医療は例外対応の連続であり、業務を完全に標準化することが難しい。
この柔軟性を、紙は長年にわたって支えてきた。
「安全第一」がDX導入のブレーキになる理由
医療において最優先されるのは、安全性だ。
そのため、新しい仕組みを導入する際には慎重にならざるを得ない。
入力ミスが起きないか
システム障害が発生した場合に対応できるか
現場が混乱しないか
紙は電源を必要とせず、止まることもない。
「何かあっても紙がある」という安心感は、医療現場にとって大きな意味を持つ。
DXは安全性を高めるための手段である一方、導入初期にはリスクとして認識されやすい。
この点が、DX推進の大きな壁となっている。
現場と経営の温度差が生むDXの空回り
DXは多くの場合、経営層の判断で進められる。
その結果、現場との間に温度差が生まれることがある。
経営層:効率化、可視化、データ活用
現場:入力作業の増加、負担感の増大
現場からは「仕事が楽になるどころか、増えた」という声も少なくない。
業務改善よりもシステム導入が目的化すると、DXは形骸化しやすい。
システムはあっても「使われない」本当の理由
医療DXでは、UI・UXの問題が見過ごされがちだ。
忙しさのピークや緊急対応を前提としない設計は、現場に定着しにくい。
その結果、
まず紙に記録する
後からまとめて入力する
紙とデジタルの二重管理が発生する
という非効率な運用が常態化する。
これではDXが根づくはずがない。
それでも紙が選ばれ続ける決定的な理由
紙は、
操作が速い
直感的に理解できる
使い方を選ばない
という特性を持つ。
教育コストがほとんどかからず、新人や異動者でもすぐに使える点も大きい。
紙文化は、現場が試行錯誤の末に選び続けてきた実践的な解である。
DXを阻む「壁」の正体とは何か
医療DXを阻んでいるのは、単なる技術不足や予算不足ではない。
本質的な課題は、業務文化と合意形成の難しさにある。
DXとは、システム導入ではなく、仕事のやり方を変えることだ。
だからこそ、医療分野では特に時間と配慮が必要になる。
おわりに:紙を否定しないDXこそが医療を変える
医療DXのゴールは、紙を完全になくすことではない。
紙が果たしてきた役割を理解し、その強みを活かした上でデジタル化を進めることが重要だ。
小さな改善を積み重ね、現場に成功体験を増やしていく。
紙を敵にしないDXこそが、医療現場に本当に根づくDXへの近道だろう。